serenity and yoga practicing at sunset, meditation

serenity and yoga practicing at sunset, meditation

夏休みも、少しずつ後半にさしかかってきました。
昔、学生時代、夏休みは、少し開放的な気持ちになりました。
普段できないことをしてみる。
髪の毛を染めてみたり、夜更かししてみたり、昼まで寝てみたり、、
自分は少し自由を貪っている気持ちがして、楽しい気分でした。


小学校高学年になって1人で自転車に乗れて、自由になれた気がした。
中学生になってはじめて、1人で、お好み屋さんにいって、自由になれた気がした。
高校卒業して、一人暮らしを始めて、自由になれた気がした。
大学を卒業して、自分でお金を稼ぐようになり、自由になれた気がした。
開業して、自営業をはじめて、自由になれた気がした。

年齢を経るに従い、実際的には、
様々なことから自由になれている気がします。
その方向へ自分自身が向かっている理由は、
おそらく自分の深い部分の願望が、
自由を求めているからかもしれません。
ただ、その方向には、恐怖心、寂しさも伴い、
駅のホームのサラリーマンが、
同期の仲間達と楽しそうにされている方々をみると、
羨ましく思えてしまうときもあります。
人間の所属欲求を感じてしまう瞬間です。
しかし方向性としましては、
所属欲求よりも強烈な、自由への欲求を感じます。


小学生のときには、一人暮らしができなくても、
束縛されているとは思えなかった。
大学生のときに、自営業になりたいとも思わなかった。
むしろ大きな最先端の病院に勤務したかったし、実際もそうなった。
それを束縛とも感じていなかった。

その段階、段階で、
自分が束縛されていると感じているものは、
少しずつ対象が変わってきます。
そして最終的には、自分自身へと向かいます。


自分がいま、水を飲みたいと思う。だから水を飲む。
実際にはこれは、自由ではない。
水を欲する体の状態があり、
水を飲みたいとの気持ちが意識の中で発生する。
水を飲むという行為は単純に
その意識、欲求に自分が奴隷のように従ったまで。

異性を好きになる。これは自分の自由ではない。
人間が生物として連綿と引き継いできたDNAに刻まれた本能があり、
そして自分の異性への経験が重なり、
自分の好みの異性のタイプができる。
好みのタイプがあるというのは、
現在の自分の自由ではない。
昔からのDNAがうみだす本能と
自分の経験の融合から発生した意識に従っているだけ。

自分自身は、いま自由に生きているのではない。
一つ一つ生まれる意識に従っているだけ。
その意識は生物としての本能と、
自分の経験から生まれる意識。

自分自身が開放されていく方法はただひとつ、
その意識に従っているという「気づき」をコツコツと重ねていく。
そして恐怖に打ち勝ち、意識からの束縛を外していく。
自由になればなるほど、経験に命が吹き込まれる。
奴隷状態から解放された本物の自分を取り戻していく。
そして、その先にあるものは、
逆説的ではあるものの絶対的な依存状態。
その状態が本当の意味での自由だと思う。

絶対依存の状態で感じる感覚は「楽」そして「快」。
絶対依存状態は人間の所属欲求をも簡単に飲み込む。

欲望を追いかける状態では感じられない感覚。
欲望を追いかける状態はあたかも、
鼻先につけたニンジンを永遠に追いかける馬のよう。

植物は動けない、とても束縛された状態で、
本能に従い疑うことなく生きている。
動物も本能に従い疑うこと無く生きている。

では、なぜ人間だけ、
本能や意識からまでも自由になる必要があるのだろうか?

個人的には、人間だけ、
意識から自由になれる特権をもっていると理解したほうがよいと思うが、
同時に、意識から自由にならなければならない必要性も感じる。

その必要性の理由とは、
人間は、強くなりすぎて、
生態系から多いに逸脱してしまったからだ。
生態系からは、逸脱してしまったが、
地球上で生活しており、宇宙で生活している。
多くが影響しあってバランスを保っているため、
知性無く、
恐竜のように油断していると、
必ずバランスを保とうとする力が働き出す。
そして待っているのは、恐竜と同じ道。

早々に生態系最強になってしまった自覚が必要だろう。
「空気を読む。」必要があろう。

その上で、どのようにバランスをとっていくか?
それは、いままで、
生物としての欲望のまま、歴史を繰り返してきた、
自分のなかに蓄積されている 
潜在意識からの解放をコツコツ行っていくこと。

それは、単純な気づきを重ねること。

ただそれだけでよい気がする。

でも、それは、最初は、とても寂しいものかもしれない。
ただ、一人暮らしを始めたばかり頃のようにその寂しさを経て、
「快」「楽」に満ちた自由意識へ解放されていく。

それを繰り返した先にある意識、絶対依存状態。

この依存状態を自覚して始めて、
意識のつながりを感じる。
つながりへの相互依存状態。

家族への意識のつながり、
友人へのつながり、
会う人への意識のつながり、
ご先祖様への意識のつながり、
動物への意識のつながり、
植物への意識のつながり、
地球への意識のつながり、
宇宙への意識のつながり、、

有限の自分がありながら、無限のつながりも実感する。

あたかも、
物理学において、
原子が観察者によって、
粒子の性質も
波の性質も持つように。

意図次第で、
有限から、無限へ自由に行き来可能となる。

全く、相反する概念が同居する。

大人になってみると、
容姿ばかりに囚われている中学生が滑稽にみえるように、

束縛から開放された時、
その束縛にとらわれている人間が、
とても、滑稽に感じる。

つまり、その無限のつながりを感じてはじめて、
何度も何度も、バカの一つ覚えのように、
同じ過ちを繰り返す、
人間の人生経験から解放される。

それが、私達人類は可能であるし、
生態系を逸脱してしまった人類が
生き残る唯一の方法だと思う。

 

 

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