貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め ブッタ

White rhinoceros, Diceros simus, single mammal,  South Africa, August 2016

White rhinoceros, Diceros simus, single mammal, South Africa, August 2016

この世で、過ごし始めてから40年が経過した。
自分の記憶にある中で、今この瞬間が自分は、正直なところ、強がりでなく、いちばん若く感じる。振り返るとこの40年は、自分の本音を取り戻す旅のようにも思える。
小さな頃から、多くの違和感を感じていた。その違和感に、ひとつひとつつまづき、挫折し、無我夢中でもがき、結果的にそれを外してきた。
そして、少しずつ、本当の自分、自分の本音が浮き彫りにされた。もちろんそれを外す際にはとても、ひどい、寂しさに襲われる。
 しかし、同時に、それは、自由への無限の可能性への新しい船出をも意味する。
 船出の切符を手にする選択を勝ち取るために、一つの質問を、自分自身に投げかける。
 「本音で生きるのか?死ぬのか?」
本音で生きないということは、本当の自分自身の死を意味する。本当の自分自身を生かすために、自分はこの世に存在している。
それ以外に、目的はない。

自分という存在を世間体のために見せかけるために、取り繕うために生きているのではない。見せかけ、取り繕う無意味な行為。しかし、これは、この世界に今とても横行している。
 医療現場。
認知症だから薬を飲む。腫瘍があるから、切り取る。ガイドラインで決まっているから抗がん剤を投与する。眠れないから薬を飲む。頭痛がするから薬を飲む。ご飯食べられないから、胃に管を通し、栄養剤を流仕込む。息が止まっているから人工呼吸器につなげる。命が尽きそうなので、救命する。元来、手段であった行為が、いつしか目的となり、目的を遂行するために、全力を尽くす。
 それが美徳である現場。手段が目的となった瞬間に、目的は消え失せ無意味と化す。
 さらには、人は、その変化に気が付きにくい思考の特徴がある。無意味の状態においても、現場のスタッフは、プロ意識という崇高な「みせかけ」を守るために、以前と同じ「愛」を示さなくてはいけないと、ただ頑張る。頑張り続ける。しかし、それは、一方通行の歪んだ愛情表現。自分自身を切り売りしている状態、その関係性にエネルギーはなく、どんなにプロ意識が高くとも、時間が経てば経つほど、現状とその本人の魂との間に、葛藤が生まれる。
その、葛藤は、熟成され、様々な形で顕在化する。
医療従事者本人の病、スタッフ間のトラブル、なにがしかの事件、、、
単純に、その現場は、「意味」を失い。愛を失い。心を失っている。
なぜ現場は、そこまで、殺伐とした環境で頑張るのか?
それは、とても、そこに、お金の流れが発生しているから。
歴史の中で、お金を生み出す構造になってしまったから、
そこには、正当な理由をつけて、お金をうみだす構造を守りたい人が多くいるから。
そして、さらに疲弊し続けた現場は、視野がせまくなり、
思考停止状態になる。そのため、システムとしては一見安定化する。

合法的に奴隷をうみだす、集金システムが完成されている。

それは、現代社会で、どの分野にも共通した、閉塞感の理由ではないだろうか?

さて、

自分は、本日で40歳になり、本音で生きる術を身に着けた。
そして、医師になり15年、医学を勉強しはじめて21年。
多くの経験をさせていただいた。
この自分が、あと40年人生の時間をもし、いただけるとすると、
いや、1年でも、1週間でも、1日でもいただけるとするとなにができるか?

マザーテレサのように、無限の愛を医療現場の人たちに、
与え続ける、、などというような、
おとぎ話のようなことは、
到底自分にはできないし、なにか違和感を感じる。

しかし、明らかに等身大の自分にできることがある。

それは、自分が担当する患者さんが受ける医療行為に「意味」を持たせることだ。
なぜ、その医療行為が必要なのか?
その医療行為にはどのような意味があって、
そして、患者さんの人生の中でどのような位置づけなのか?
それを、本音で、お伝えし続ける。
さらに、自身の感覚で「自覚」していただく。
それは、結果として、医療現場に 「意味」をもたらしめる。
意味が生まれることは、その現場に「エネルギー」が発生する。
そこには、医療者側の「心」も生まれ、
患者さんの「心」も生まれ、さらにその、
「状況」にも「心」が生まれ、
エネルギー増大が発生し、
それらがエネルギーの相互作用、相乗効果をうみ始める。

ただ、全て「いのち」の本来あるべき姿。

医療現場に、「心」を取り戻す。

それが、40歳となったばかり私の静かな覚悟である。