おはようございます。

夏の日が続いています。最近は、この日差しを利用して、布団をしっかり干すのが、日課となっています。きちんと干された布団は本当に気持ちがよいです。

さて、先日 新しく入った職員から、下記のような感想文の一部をいただきました。

そこで、自分なりに得たきづきがあります。

なんで、私が引っかかったかというと

下記の感想とは、無縁な 方向性を自分自身が向いていて、なぜこのようにとらえられるのかな

としばらく考えていたのです。

引用文


先生は『病気』や『死』に近い職業なのに、

いつまでも、『病気』や『死』に、慣れず。

慣れるどころか、
患者さんの誰よりも『病気』を憎み、『死』を恐れているのではないか。~

 

まず、私は病気を憎んでもいないし、死も恐れてはいないつもりです。

病気は憎むべきではないとの姿勢は、去年の8月5日のブログにあげています。

一年外来診療させていただいて、やはり、健康への鍵は、自律神経の緊張を緩めることとの認識が強くなってきています。その意味でも、体に感謝する、病気に感謝する姿勢は、体と戦いをやめること病気との戦いをやめること つまり、緊張状態を 緩める最善の方法ではないかと、最近は感謝することによる病気の奇跡的な改善 の理由付けも おぼろげながらできるようになってきました。

しかし、今日の話題は それではありません。
私に出会った方は、私のことを様々な尺度、通常は経験からの尺度でとらえようとしていただけますが、ひとつだけ確かなことは、
私自身は、どのような人間の分類にも属さない人間だということだと思います。

今回の 職員のかたの私の認識もすべて想像上のものとなって、全く違う像を呈しています。

現実はそうもいきませんが、
私自身のモットーは、 自分のすべての考え方をゼロベースへ持っていく勇気を持つということです。

理想としては、昨日の自分と今日の自分は、全くちがっているはずです。だから、私自身もなにか人の分類のなかにはいる人間とはいかないと思います。

昨日の自分の表現 話した内容、 書いた文章、 自分がした態度、 すべて自分からoutputした時点で、自分ではなくなり、さまざまなかたの思いと入り乱れ、全く違う形となって流れていきます。その、全く違う自分をみて、自分自身のセルフイメージに自分をしているのではありません。
私は 私からoutputされた時点で、私ではなくなる。私は私からoutputされたものすべてに裸に向き合い、すべて削ぎ落しても残るものそれが、現在の自分。
本質は 生命エネルギー を感じ 無垢に 表現する自分。
それが私の理想型です。

医者としては、無責任のようですが、もっと視野を広げ、いち人間、生命体とかんがえれば、最大限の責任を果たしている姿勢だと思います。

現在の自分はこのような、理由付けしていますが、10年前の研修医一年目の私も同じようなマインドは土台としてもっていたようです。
、、

 

10年前の詩集より

マイボス

将来どんな脳外科医になっているのだろう
普段あまり考えない
ただ精一杯の毎日を積み重ね、
何十年と自分の信じている道を歩み続ける

何十年かの後、
自分の信念と
はだかで、立ち向かうことができるだろうか?
自分の信念
自分の半生から
勇気を持って自立できるだろうか?
長い歳月への執着を捨てられるであろうか?

しかし
そんなものすがった時点で腐っていく

ときに、自分に牙をむく
いつまでも輝けるために